<飴売りとの約束 寄居町の朝鮮人虐殺>(上)命日・6日に慰霊祭開く地元住民 デマに命を奪わせない
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<飴売りとの約束 寄居町の朝鮮人虐殺>(上)命日・6日に慰霊祭開く地元住民 デマに命を奪わせない
  • 미디어기평 기자
  • 승인 2023.11.10 16:21
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<飴売りとの約束 寄居町の朝鮮人虐殺>(上)命日・6日に慰霊祭開く地元住民 デマに命を奪わせない

2023年9月2日 07時53分

具学永さんの墓の前で思いを語る木島修さん=寄居町で

具学永さんの墓の前で思いを語る木島修さん=寄居町で

 「井戸に毒を放った」などのデマを信じた民衆が多くの朝鮮人を虐殺した関東大震災。埼玉県寄居町でも、28歳の飴(あめ)売りの青年、具学永(ク・ハギョン)さんが命を落とした。地元でさえほとんど知られていない悲劇から100年、事件の記憶を継ごうと動き出した人たちがいる。(福田真悟)

 1986年発行の寄居町史。関東大震災に触れたページの内容に、木島修さん(70)は目を見張った。

 「自警団員らの手によって、朝鮮人の飴(あめ)屋の具学永青年が留置場からひきずり出され、鳶口(とびぐち)などで乱打撲殺された」

 梅林と田畑が広がるのどかな故郷に似つかわしくない、血なまぐさい過去。震災後、各地で朝鮮人が殺害される事件があったとは知っていたが、「地元でも起きていたとは、夢にも思わなかった」。

 定年退職後、地域貢献になればと、郷土史を自主的に調べ始めた木島さん。町史はその一環で読み始め、2021年、このページに出くわした。以来、この事件の調査に最優先で取り組む。「事件から100年たち、記憶も記録もどんどん薄れる。早くしないと」

 ◇ 

 震災後、関東一円で千~数千人が命を落としたとされる朝鮮人虐殺事件。犠牲者の多くは名前すら分からない中、具さんは、名前だけでなく、年齢や職業、具体的な状況などの記録が残る珍しいケースだ。背景には、死を悼む地元の人々の存在があったと考えられる。

 象徴的なのが、事件現場の近くにある浄土宗の寺「正樹院」に建てられた墓。町史によると、近隣で「あんまを開業していた宮沢菊次郎」という人物が遺体を引き取り、埋葬した。

 「具学永 行年28歳」などと刻まれた墓石は、事件の「証言者」として、今も残る。「当時の住職が『残すように』と伝え、孫の代まで引き継がれた」(木島さん)という。

 ◇ 

 事件から100年。木島さんは具さんの命日、9月6日の午後1時半から、正樹院で慰霊祭を開くと決めた。デマによって、朝鮮人が危険な存在としてひとくくりにされた事件。「一人の人間として弔うのが、同じような悲劇を繰り返さないための第一歩」と意義を語る。

 暗い過去に触れることで、地元から疎まれるおそれもある。そのリスクに立ち向かうのは「状況次第で、どんないい人でも賢い人でもデマに踊らされ、凶暴になりうる」という教訓を伝えたいからだという。「自警団は、上からの命令でつくられた。家族らを守りたい一心で、手を下してしまった人もいるだろう」

 現代への危機感も、後押しした。当時、デマは口伝え。東京から各地に広がるのに数日を要したが、今なら交流サイト(SNS)で一瞬だ。「誰もがワンクリックで広げられる。ある意味、昔より怖い」

 これからも調査は続け、慰霊祭も、できる限り続けていくつもりだ。「100年で終わりではなく、ここからスタートにしたい」。墓を作り、守ってきた人たちの思いを、つないでいく。

<寄居の朝鮮人虐殺> 1923年9月6日、寄居町で28歳の朝鮮人、具学永さんが自警団に襲われ、死亡した。当時の証言などによると、具さんは事件の約2年前から町の木賃宿などで暮らし、地域で知られた存在だった。関東大震災後、各地で朝鮮人が狙われる事件が起きていたのに不安を感じ、自ら願い出て地元の警察署に保護されたが、5日、別の地域の自警団に見つかり、50人以上に囲まれてやりなどで何度も刺され、翌6日に絶命した。事件を巡り、13人が立件され、3人に実刑判決が出た。

출처 : https://www.tokyo-np.co.jp/article/274368

 


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