100年前の負の歴史「なかったことにできない」関東大震災直後、行商9人惨殺 福田村事件の記録復刊
2023年8月8日 11時30分
1923年の関東大震災の直後、デマを真に受けた人々による朝鮮人虐殺が相次ぐ中、香川県の被差別部落出身の行商団9人が千葉県福田村(現野田市)で惨殺された。この「福田村事件」を記録したフリーライター辻野弥生さん(82)=千葉県流山市=の著書「福田村事件 関東大震災・知られざる悲劇」が、大震災から100年を前に復刊された。辻野さんは「都合の悪い歴史であっても、きちんと記録し、若い人たちに伝えなければ明るい未来はない」と訴える。(林容史)
復刊された「福田村事件」を前に、歴史を次世代につなぐ大切さを説く辻野弥生さん=千葉県流山市で
辻野さんは流山市で同人誌「ずいひつ流星」を主宰してきた。1999年、朝鮮人虐殺事件を調べていたころ、ある人から「福田村事件についても書いてほしい」と資料を持ち込まれた。「地元の人にはとても書けないから」との理由だった。
事件は、震災発生5日後の23年9月6日に福田村で起きた。香川県から薬の行商に来た被差別部落出身の男女15人のうち、妊婦や幼児を含む親子ら9人が自警団に殺された。聞き慣れない讃岐弁を話す一行が朝鮮人と決めつけられ、自警団に襲われたのだ。遺体は利根川に投げ込まれた。辻野さんは「普通に暮らしていた人たちが、突然9人もの人を殺してしまった。デマに惑わされ、職業や民族に対する根強い差別意識が群衆という塊になった」と指摘する。
◆「霊がようやく浮かばれました」
事件は長く歴史に埋もれていた。ようやく光が当た
ったのは44年前の79年、千葉県内の主婦が中心の「千葉県における関東大震災と朝鮮人犠牲者追悼・調査実行委員会」のメンバーが「犠牲者は香川県の人らしい」との情報をつかんだ。83年、香川県側に調査を依頼すると、当時の「県歴史教育者協議会」会長の石井雍大さんが生存者を探し出し、現場に居合わせた被害者側の証言が得られた。
辻野さんの調査活動に注目した地方出版社「崙書房出版」(流山市)は2013年に新書判を出した。本の中では、讃岐弁で語られた証言テープの内容に丁寧な解説を加えた。出版記念パーティーでは、香川から駆け付けた当時の「千葉福田村事件真相調査会」の中嶋忠勇会長が「利根川周辺をさまよっていた霊がようやく浮かばれました」と喜んだという。
辻野さんの本は3刷りを重ねたが、出版元が経営難で19年に解散。絶版を惜しんだ「五月書房新社」(東京)が増補改訂版の発行を提案した。
復刊に当たって内容を大幅に加筆し、巻末には香川県立文書館が保管する生存者の手記全文を写真付きで掲載した。関係資料や当時の新聞記事などのほか、事件を描いた9月公開の映画「福田村事件」の森達也監督の寄稿も収めた。
穏やかな表情の辻野さんの目に決意が宿る。 復刊された「福田村事件 関東大震災・知られざる悲劇」
「起こったことをなかったことにはできない。私たちには若い人に『こういうことがあった』と伝える義務がある。節目の100年を迎える今年が最後のチャンスです」
本は46判、271ページ。税込み2200円。
関東大震災の朝鮮人虐殺 1923年9月1日の大震災直後、被害が大きかった東京や神奈川を中心に「朝鮮人が暴動を起こした」「井戸に毒を入れた」などの流言が広がり、関東一帯に波及。あおられた民衆がつくった「自警団」や軍隊、警察などが朝鮮人を暴行、殺害した。間違われた日本人も犠牲になった。政府は、当時の軍隊や警察が虐殺に関与したことについて「事実関係を把握できる記録が見当たらない」としている。政府の中央防災会議が2008年にまとめた報告書では、震災の死者・行方不明者約10万5000人のうち「1~数%」が虐殺犠牲者だと推計している。
출처 : 「なかったことにできない」